Discover 小田原(5) 鴨宮〜国府津の鉄道関連

たかだか4話程度でネタが尽きてきました。しかたないので・・・
今まで何度も通ったことのあるご近所を、再発見しに改めて訪問する企画に変更です。
さて、この企画、何話続くことやら。。。

今回は、鴨宮から国府津間にある、いくつか軽めの鉄道関連のネタを見直してきました。

【本日の運動量 :自転車で13.4km】

■今回の訪問先はこの辺り

改めて見ると、結構いろいろあります

■「天国と地獄」ロケ地

巨匠 黒澤 明監督の映画「天国と地獄(1963年公開)」の重要なロケ場所です。

当時はまだ新幹線は開通しておらず(=新幹線開通は1964年10月1)、在来線(東海道線)で東京から大阪に向かう特急こだま号が車内から、酒匂川橋梁を通過する際に人質の子供と身代金の交換を行うシーンです。

  • 犯人から特急こだまに、人質と身代金交換について指示の電話が入る
  • 河原に立つ人質の子供の無事を確認する
  • 客室の窓が開かない特急車両、トイレだけ唯一換気用に窓が少しだけ開く
  • トイレの窓の開く隙間7cmに合わせて厚みが指定されたカバンに、身代金が入っている
  • 対岸の小田原側の河原にカバンを落とす。。。

なんとこれを、特急電車1編成丸ごと借り切り、撮影用に臨時列車を仕立てて、ほとんどのシーンを電車の運行に合わせて、リアルタイムで撮影されたとか。。。

この映画が公開されたのと同じ年、「吉展ちゃん誘拐殺人事件(1963年3月)」が起きたそうです。

映画のシーン

河原に立たせた人質の子供を、走行中の特急電車の車窓から効果的に見せるため、砂利を積んで足場を高くするとともに、線路との河原の間にあった撮影に邪魔な家の2階部分を取り払ったとか。
さすが巨匠!いろんな伝説が残っていました。

人質の子供と女性が立っていた場所、対岸の建物は現在は花王(撮影当時はカネボウ)
撮影当時と現在の様子。
撮影当時は東海道線の貨物線がまだないので、新幹線試験線x2本と東海道線x2本の線路のみ。(国土地理院)
屋根を取り払われた家は、この辺にあった。

■東海道新幹線 モデル線 試験基地

モデル線区とは、東海道新幹線の建設時に旧国鉄が東京大阪間全線に先駆けて完成させた試験用区間である。
鴨宮基地がおかれ、小田原市と高座郡綾瀬町(現・綾瀬市)付近を結ぶ約30キロメートルの区間で試験運用された後、全線開通の際に東海道新幹線の路線の一部に組み込まれた。(Wikipedia)

新幹線鉄道事業本部 鴨宮保守基地

鴨宮基地は、現在は保守基地になってます。

鴨宮保守基地

南鴨宮〜中新田シケイン(仮称)

線路や保守基地の設置にあわせ、線路のガードの増設を繰り返したようで、微妙にガード下の道路が屈曲しています。

微妙に道路が屈曲するガード下(Google Street View)

ピーエス三菱技術研究所

こちらは、PC(Prestressed Concrete=プレストレスト コンクリート)の技術研究をしている会社です。
高い強度が求められる鉄道のコンクリートの桁にも使われる技術なので、鉄道ネタとして見てきました。

関係者以外は入れないのですが、入り口近くに何点かの技術展示品が並んでいます。

■新幹線発祥の地で街おこし 鴨宮

鴨宮駅南口には、0系新幹線を象った新幹線発祥の地の記念碑が、北口の商店街には街おこしの旗が掲げられてます。

南口にある記念碑
北口商店会、新幹線発祥の地で街おこし中

駅の東側の住宅街に、いつの間にかこんな施設もできてました。看板がないと、普通の住宅にしか見えませんが、ホームページを見ると結構凄そうです。

なお、鴨宮駅南口の0系新幹線のオブジェは観光用で、本来?の「新幹線発祥の地」の記念碑は、一般の立ち入りが制限されている保線基地内にあるそうです。

■下菊川に架かる古い石積みの橋台(菊川橋りょう)

鴨宮駅から300mほど国府津寄りに下菊川に架かる橋があり、そこがアンダーパスの道路になっています。
アンダーパスの壁面をよく観察すると、線路の橋台の一部分だけコンクリートではなく古い石積みになっています。

こちら「足柄縣ブログ」さんの情報によると、この古い石積みは東海道線開通当時の初代のものとか。。。
1920年が省線熱海線 国府津~小田原間の開通なので、100年前の石積みのようです。(1923年の関東大震災の被害で、造り直している可能性もあり)

このアンダーパスができたのは、開通からだいぶ経ってからなので、もともとの川幅の一部を道路用のアンダーパスにしたのでしょうね。

線路2本分だけ、橋台が異なり石積み構造

■印刷局への引込線の痕跡

謎の大きくカーブする道は、廃線跡か?
もう使ってない線路ですが、柵の中なので絶対に入ってはいけません
酒匂堰には、雑草に覆われた線路の橋梁らしきものが。(Googleで真上から)
上から見るとよくわかります(打越大橋より)

かつて、鴨宮駅から印刷局、クボタ及び貯油施設への専用線が通っていたので、その痕跡のようです。(「廃鉄の処女II」さんより)

東海道線に乗って鴨宮付近を通過する際、線路の南側に、一部錆びた線路が残された使われてないスペースがあったので気になってましたが、専用線の後だったようです。(今は、ビジネスホテルの駐車場になってます)

それにしても、超ハイレベルな廃線マニアの皆さん、リサーチ力がすごいです。

位置関係はこんな感じ(1979〜1983の状況、国土地理院)

■貨物基地の痕跡

印刷局やクボタ(建材工場)並びに、今はない貯油施設(現在はクボタの倉庫)への専用線とともに、今のコロナワールドあたりに「西湘貨物駅」という施設がありました。

今でもコロナワールドの南側には、待避線らしき線路が一部残ってます。

本線は、東海道の上下と貨物の上下の4本、残り2本が待避線らしい

また、西湘貨物駅東側のガード下には、トンネルになっている廃線跡を、合法的に間近で見られる場所があります。
鴨宮方面を覗くと、奥にかすかにトンネル出口らしき明かりが見えます。
国府津側は完全に塞がれているようですが、雑草がモジャモジャでよく見えません。

ここはもう線路ではないので、好きなだけお近くでどうぞ!
(ところで、なぜこの部分だけ天井が抜けているのでしょうか?)
天井が抜けている部分を、上から見るとこんな感じ。
北側のスペースは、コロナワールドの駐車場になってます。
トンネル側の地面は、レールを残したまま、アスファルト舗装してあります。
こちらも、もう鉄道施設ではないので、触り放題!

■国府津駅 開業100周年記念碑

  • 1887年 :横浜駅~国府津駅間に鉄道路線が開通
  • 1920年 :省線熱海線 国府津~小田原間 開通
  • 1934年 :丹那トンネルが完成し熱海 – 沼津間が開通

1934年の丹那トンネル開通まで、東海道線は国府津から御殿場を経由して、箱根を北に迂回するルートでした。このため、多くのVIPが別荘を構えた小田原、観光地の箱根や熱海に対し、1920年に省線熱海線の国府津~小田原間が開通するまでは、国府津駅が神奈川県西部の最大のターミナル駅だったわけです。

現在でも車両基地があったり、JR東海の御殿場線の起点だったり、結構鉄道的には要所です。改札が1つだけしかない駅の規模と比較しても、駅ビルというかJRの事務所の建物は結構立派です。

国府津駅開業100周年の記念碑(1997年設置?)
結構立派な駅ビル(商業施設ではなく、JRの事務所と思われる)