小田原の謎(7) 池上と井細田

コロナ禍の巣篭もり中、地図を見ていて気になったこと;

  • 市役所の東側に、「池上」という聞いたこともない狭い町丁を発見
  • 地名はよく見る「井細田」、実は妙に狭いエリアだった

ということで、運動を兼ねて現地調査してきました。
今回、運動目的で寄り道し、険道74号線 久野坂下からの127‰の激坂に初アタックし、無事登り切ることができました。ヤマハの電動自転車が素晴らしい。

【本日の運動量:自転車で17.4km、激坂アタックあり】

■池上

小田原市役所と小田急線で囲まれたエリアが池上。

ところが池上バス停は、全く別な場所、国道255線沿いの西湘病院のすぐ横にあります。

池上公民館は、バス停から西の住宅街に入って、大雄山線の手前にあります。

■井細田

小田急足柄駅の南西側、小田急の線路(車庫)と路地に挟まれた、南北に細長いエリアが井細田。

こちらも池上と同様に、井細田バス停は国道255線沿いの井細田交差点のすぐ近く、そして大雄山線の井細田駅も、井細田にはありません。

国道255線より東にある井細田大橋も、井細田にはありません。

もちろん予想通り、井細田公民館も井細田にはないのです。

■もうお分かりですね

昔々、池上や井細田はもっと広かったのですが、1976年(昭和46年)の第4次住居表示制度で、扇町に小田急線東側までの陣地を占領されてしまったのです。

その結果、小田急線西側だけ今に残ったということで、世が世なら、井細田は現在の扇町商店街(Amazon付近)あたりまでが陣地だったわけです。

密かに再興を願う池上と井細田の人々は、敵地・扇町陣内奥深くに密かに公民館を構え、扇町から再び独立する日に備えているのかもしれません。

(広報おだわら 第249号抜粋 昭和46年1月1日 発行)
江戸時代後期(1810年頃)池上村も井細田村も、甲州道や山王川の東まで広がっていた
大正時代(1916年頃)扇町がなければ、Amazonは井細田の領地だった

■ご参考:日本四大愚策(個人の感想です)

  • 住居表示に関する法律」に基づく旧町名の廃止
    結局、日本各地では未だ普段の生活の中で、旧地名で呼ぶ習慣は続いており、その方が馴染みが深く分かりやすい。
  • 電源周波数 50/60Hz
    電気が普及し始める明治時代、静岡県の糸魚川付近を境にし、東はドイツ製発電機を導入したため50Hz、西はアメリカ製発電機を導入したため60Hz。最近の電気製品は周波数による影響はほとんどないので問題ありませんが、電力不足の際に日本東西で融通しにくいのはご承知の通り。
  • 鉄道のゲージ幅
    鉄道導入時に、もし現状より広いゲージを採用していたなら、輸送量や走行速度もだいぶ高められ、朝夕の通勤ラッシュも緩和しているかもしれません。「日本は国土が狭いのだから、狭軌でいい」と言った当時の偉い方がいたとか・・・
  • アベノマスク
    あのマスク、推進されたご本人も着けているのは嫌だったと思います。
    サイズが小さくて、鼻を覆うと口が出てしまう。。。ワクチンもない状況下で、持病もあり、人前であのマスクでお仕事されていたことは、命懸けだったことでしょう。
    程度は別にして、同じお腹に不安を抱えるKanatecとして、気持ちがよくわかります。
    アベノマスク、大切に生涯保管しておきます。
    ※余談ですが、「二度あることは三度ある」という言葉が気になります。