平地から海や山へ変化点である「足柄平野の際(キワ)」のご紹介です。地形の変化点にあるちょっと変わったモノや気になるモノをご紹介します。
まずは小田原市を中心とした足柄平野の南半分です。平野の北半分はネタが揃わず、どうしようか思案中です。せめてネタが10個くらいないとねぇ。
■いつものように、GoogleMapsの登場
■今回はもう少し詳しくご紹介
足柄平野の南の際
(1)蛙石
説明書きによると;
- 小田原に異変があるときに、この石のカエルが鳴く(小田原城落城の際も夜通し鳴いた)
- 一丈(約3m)の深さまで掘っても石の下部まで達せず、地下岩盤の露出の先端の可能性がある
これは、ピョン吉石のモデルになった石の可能性がある。
(2)川崎長太郎 小屋跡
1901年に小田原で生まれた日本の小説家で、ご近所の抹香町(今の浜町)を題材にした小説が有名だそうです。
文学関係には全く疎いというか興味がないので、この程度で。。。
(3)荒久の灯台
突堤の先に小さな赤い灯台があります。いつも釣り人がいるんですが、足元に波消しブロックが入っているので、あまり釣りやすい場所ではないです。それに海が荒れるとすぐ波が上がってきます。
この地は、紅蓮次郎の聖地です。小田原近くの海岸には断崖絶壁はないので、代わりにこの地が犯人説得の際のお約束の場所です。
(4)山口武利先生像
国道134号線のTOTOCO小田原の向かい側にあります。
碑文を読んでみると、「明治時代、早川出身の神奈川県議会議員で副議長をやった人」だそうです。みなさんご存知ですか?誰がここに胸像を建てたのでしょう?
(5)東善院 魚籃大観音
下りの新幹線で小田原駅を過ぎ、小峰のトンネルを抜けた先で左手(海側)に見える白い観音様です。高台に建っているのを差し引いても、とても大きな全身像です。(大船観音は、山の上に胸から上だけ)
手に持ったカゴにはお魚が入ってます。場所柄もあり、海の安全、大漁、また魚介類への報恩感謝や日本の平和などを祈念して建立されたとのことです。
(6)早川口遺構
難攻不落/北條・小田原城の総構えの西端です。
住宅地のある平地で土塁の遺構が保存されているのは、ここと浜町の蓮上院土塁だけ(たぶん)。なお、城山の山間部には、土塁や空堀などの総構えの遺構が多数保存されてます。
(7)とても低い信号機
計測の結果、1.5Kanatec=おおよそ2.6mの高さに信号機が設置されてます。
なぜこんな低い位置に信号機がついているか?Google Street Viewで見ればこんな感じ!東海道線のガードの手前にも、予告信号を付けたら良さそうです。
足柄平野の西の際
(8)箱根湯本 吊り橋 前田橋
かなり箱根の山間部まで来てますが、やはりここはご紹介しておかないと。。。
Kanatecは三半規管が弱いのか、撮影のため何度も橋を渡っていると、その後暫く体が揺れてます。
(9)山角天神社
これは改めて調査予定の案件です。
名称の通り「天神さま」ですが、童謡「とおりゃんせ」の歌の舞台となったとされる天神さまです。
(10)花岳城跡地、競馬場跡
小田原市のWebでも紹介されていますが、かつて小田原には競馬場があったそうです。大正12年の関東最震災の復興事業として設置され、昭和5年にその幕を閉じました。(わずか7〜8年)
谷津(現在の城山)の自然の地形をうまく利用し、谷間を埋めてトラックを作り、山の斜面が観客席だったそうです。
残る唯一の痕跡は、電柱に掲示された「競馬場支(線)」の表示のみです。昭和37年に施行された日本三大愚策の一つである「住居表示に関する法律」の影響を受けなかった、電柱やバス停、交差点名称などの表記は、この手の近代史調査にはとても有効な情報源です。
(11)日本たばこ引き込み線跡
1984年に廃線となり、現在は遊歩道として活用されています。
日本たばこ跡地には、2024年にイオンタウンがオープンするそうで、久野の地価が上昇するか、慢性渋滞で住みにくくなるか?(「混み合うのは最初だけ」に1票!)
(12)素敵な石垣
別に観光地でもないのですが、河原にある丸い自然石を積み上げた見事な石垣です。石の表面の状態からして、結構新しい石垣のようです。
ネットで調べてみると、この石垣の形式は「玉石積み」と言うそうで、横須賀城(遠江国城東郡横須賀に戦国時代から江戸時代にあった日本の城)の石垣がこの形式だそうです。
(13)旧水源地井戸跡
足柄平野の東の際編
(14)第4種踏切
「第4種踏切」というのは、警報器も遮断機もない踏切のことです。今現在、足柄平野内で第4種踏切を見つけたのはここだけです。(注:勝手踏切は除く)
今だから白状します。10数年前、大雄山線の多古あたりに「第4種踏切」があったと記憶してます。Kanatecはマフラーを交換し排気音がやや大きめのバイクに乗り、ヘルメットを着けていたため、電車の接近音に気づかず、危うく大雄山線に轢かれそうになりました。この時は電車の運転手さんが鳴らしてくれた警笛で、命拾いしました。
(15)梅丸 蛇口
雨が降り出しそうだったので、曽我まで遠征できず。帰着後1時間もしないで雨が降り出したので、梅丸蛇口を見に行っていたら、完全に濡れてしまったことでしょう。
2022.10.15 追記
1週間後、梅丸蛇口を確認しに行ってきましたが、なぜか見つかりません。そこそも広場とか公園とか、オブジェが置かれるような雰囲気が感じられず、この場所自体が廃止されてしまった感じもします。
線路側には、「ここを利用するくらいなら漏らした方がマシ」な感じで、放棄されて藪に包まれた公衆トイレらしきものもあります。
ここなら誰にも気づかれず、住みつくことすら可能かもしれません。(水道とトイレ完備、家賃無料。自分で工事すれば電気も無料?)
可能性とすると;
- ムシ・ヘビ・ジメジメが大嫌いなので、モジャモジャに入らないで眺めているため、梅丸蛇口を見落としている
- 股間に蛇口がつき放水する梅丸の様子が公序良俗に触れ、撤去された(注:別な方のyoutubeにリンク)
- 蛇口窃盗犯が梅丸ごと持っていってしまった
- トイレと水道がセットの可能性があるので、このモジャモジャの中に入って行かないとみることができない
どうでも良さそうなので、本件はこれにてCloseとします。(追跡調査などしません)
(16)譲原砂利採取線跡
(18)ミイラのオブジェ
天候悪化のため現地に行けず、ストックフォトを使用してます。詳しくはこちらをご覧ください。
(19)菅原神社(とおりゃんせ)
南町の山角天神社同様、こちらも菅原さまという名称の通り天神様で、童謡「とおりゃんせ」の歌の舞台となったとされる天神さまです。
調べてみると、このほかに埼玉県川越市の三芳野神社が舞台であるという説もあります。これは絶対追加調査が必要です。(更には、関西地方では社会問題が絡んだ歌詞である、という説も聞いたことがあります)
再び足柄平野の南の際編
(20)国府津断層
国土地理院の情報によると、ちょうど「岡交差点」辺りが断層になります。国道1号線はこの辺から国府津駅入口にかけて上っており、親木橋から10m近い標高差があります。
国府津-松田断層帯本断層帯は、相模トラフ(フィリピン海プレートと陸側のプレートとの沈み込み境界)で発生する地震に伴って活動してきたと推定される。 上下方向のずれの平均的な速度は、約2〜3m/千年と推定される。また、最新活動時期は12世紀以後、14世紀前半以前(西暦1350年以前)と考えられ、1293年の歴史地震に対応すると推定される。 断層近傍の地表面では北東側が南西側に対して相対的に3m程度高まる段差や撓(たわ)みが生じたと推定される。 また、平均活動間隔は約8百〜1千3百年と推定され、これは、相模トラフの海溝型地震の数回に1回の割合で活動してきたことに相当する。(Ref. 平成27年4月24日 地震調査研究推進本部 地震調査委員会資料)
かつての研究だと国府津断層はかなり切迫したリスク評価がされていましたが、平成27年の最新の評価では、切迫度が多少下がったように見ました。実際どうなんでしょう?とはいえ、関東大震災の震源域であった相模トラフのリスクは高いまま。
いつか突然来るんでしょうね。2000年の小田原への引っ越し当初から、家具類の固定はかなりしっかりやっており、2011年03月11日の東日本大震災の本震(小田原で震度4)や、この地での最大余震である2011年03月15日の静岡県東部を震源とする地震(小田原で震度5弱)では家具の落下などは起きず。これを越える震度だとどうなることやら。。。
(21)動物注意(道路標識)
以前は仮設の看板でしたが、いつの間にか常設の看板に変わってます。実際にこの近くの河原で、シカの群れを見たことがあります。
丹沢から酒匂川の河原伝いに降りてくれば、民家や道路を越えることもなく、シカさんたちも安全なんでしょう。サルも時々パトカーが警戒してますので、そのうちイノシシとかクマ注意の看板ができるかも?
(22)酒匂海岸駐車場
海岸まで車で降りられる貴重な場所です。たぶん湘南〜西湘エリアではここだけだと思います。駐車料金もかからず、すぐ近くにマックやヨークマートがあるので、レジャーにも最適です。
せっかくの場所なので、閉鎖されないよう、ゴミは持ち帰り、不要なトラブルは避けてくださいね。