新型コロナの自粛生活の中、古地図や国土地理院の昔の航空写真上でご近所を散策していたところ、1960年台まで、ご近所に大きな煙突があり、煙がモクモクでているのを発見しました。
何を燃やしていたんだろう?
■1860年(江戸時代末期)
Kanatec本社は、小田原城総構の外にあるので、地図には何も書かれてないです。ちなみに小田原総構の外郭は、暗渠になっている渋取川や、一部遺構が残っている蓮上院土塁です。
■1916年(大正時代)
まだ山王川の河川改修前で、河道が蛇行してます。また国道1号線の山王橋には、小田原電気鉄道の軌道が書かれていますので、国府津〜小田原間の軌道線廃止(T9=1920)の前です。
この地図だと、Kanatec本社ビルの場所は田んぼですね。
■1954年(昭和、Kanatecが生まれるだいぶ前)
この頃になると、鉄道路線や主要道路は今とだいたい同じ感じです。山王川も真っ直ぐに改修されました。
さて、ここで気になるのは、ご近所にある煙突マークです。航空写真でも煙突から煙がもくもく出ているのが確認できました。さて、何を燃やしているのでしょうか?
1974〜78に撮影された航空写真では、この煙突は既になくなって敷地全体が更地になっています。
この場所、現在は児童公園になってます。
さて問題です。この場所で1960年代まで何を燃やしていたのでしょう?
■調査結果
その答えは、小田原デジタルアーカイブ=小田原写真館にありました。
「中島じん芥焼却場」、このサイトの地図だとビック小田原寿町店付近を示してますが、施設の名称の「中島」や、撮影場所として「中町」という記述からみて、地図の間違いと考えます。
同じサイトにある「山王原火災」のキャプションには、「(昭和35年9月22日)山王原火災、海岸から山王原旧焼却場を望む」と書いてありますので、「ゴミ焼却場」の煙突が正解のようです。
※)なぜ「旧焼却場」の煙突から煙が出ているのか?