巡礼街道沿いにある「なか卯」の裏手に、今は使われてない古代の水路遺構があります。宇宙からもこの遺跡を確認できます。知らぬ間に撤去され、集合住宅や駐車場になる前に、調査・記録したいと思います。
■小田原の世界遺産の概要
宇宙から見ると
謎の世界遺産は、写真中央から左下に続く円弧上の水路跡です。
なんと、写真左下の日立建機っぽい色のパワーショベルが遺構を埋め立てており、近い将来にはレオパレスか大東建託などの集合住宅か、駐車場にされてしまう恐れがあります。
これは絶対に、その記録を後世に残さないと!
■いつ頃作られたのか?
まずは、いつもお世話になっております国土地理院の航空写真で調べてみましょう。
1952年(昭和27年)には存在してません。1961年(昭和36年)には出来上がっているので、建設は昭和28〜35年あたり。だいぶ絞り込めました。ちなみにKanatec本人は昭和36年製(築61年)なので、この水路の方がちょっとだけ先輩のようです。
■何の目的で作られたのか?
流路の形状と、酒匂堰が下菊川より数m高いところを流れている地形から見て、「酒匂堰→下菊川」への水路のように見えます。
その目的は以下のいずれか;
- 酒匂堰が増水し下流域での氾濫の恐れが生じた際、下菊川に水を放水する役割
- 下菊川の下流域で渇水が生じた際、酒匂堰の水を下菊川流域に供給する役割
考察1 :明らかに下菊川のほうが流量のキャパが少なく、鴨宮台地の谷部分の低地を流れているので、氾濫のリスクは酒匂堰より高いです。この状況下で、敢えて下菊川に放水するのは危険な気がします。
考察2 :1960年台の航空写真を見ると、下菊川の下流域は田んぼと養魚場のような池があります。今は田んぼは住宅や下水処理場に代わってます。気になるのは養魚場のような池ですが、一部はだいぶ以前に小学校と公園に、もう一つはつい最近埋め立てられて宅地に変わってます。
河川/沼地跡や干潟ではなく人工の池なので、大丈夫ですよね。地震の際の液状化。。。ジメジメ嫌いなのでとても気になっちゃいます。
■古文書発見
現地確認前の机上検討にて、古文書を発見しました。
(1)小田原市報(昭和34年5月25日)
昭和34年5月の小田原市報です。前述の「建設は昭和28〜35年あたり」に合致します。記事は「酒匂川左岸 農業水利改良事業完成」に関するもので、その中に;
特に中里地内には、洪水の余水を下菊川に排除(毎秒5トン)する余水吐水路が新設されました。
との記述がありました。
断定しにくい要素としては;
- 現在「中里」とされるエリアは酒匂堰左岸であり、なか卯周辺(右岸)は該当しない。
- 写真左手に林があるが、航空写真では田んぼに見える。水路の直線部分は暗渠になっていると思われる。このため、この写真は「下菊川の水路」であり謎の水路の写真ではない可能性あり。
ただし、当時の航空写真にて、他に酒匂堰から下菊川へのバイパス水路はないようなので、ほぼ間違いなさそうです。
■いつ、なぜ廃止されたか?
年代別の航空写真を見ても、水が流れていた時期を判断するのは不可能です。
酒匂堰下流域より下菊川下流域の浸水リスクが高いため、危険な方に「洪水の余水を排除」するのは問題があるような気がします。
実際は、下菊川下流域の養魚場への給水確保だったりして。。。利水目的だと水利権がらみで揉めそう(※)ですが、水害対策なら反対する人はいない(と思われる)。(※:昭和8年に足柄村騒擾事件が起きた小田原なので)
さて、なぜでしょう?
■現地確認
机上検討にて現地確認のポイントを整理。
- 日立建機っぽい色のパワーショベルが遺構を埋め立てし、レオパレスか大東建託などの集合住宅化してしまう前に、現地の状況を記録
- iPhoneの計測アプリを利用し、酒匂堰から下菊川の標高差を確認
- 念の為、中里地内に他にバイパス水路の痕跡がないか確認
①下菊川との合流点は完全に埋め立てられている。
鴨宮以南の下菊川の流域は谷状の低地になっているので、酒匂堰以上にこのエリアの氾濫リスクの方が高そうな気がする。
②1枚目の写真は埋めたてられた下流側の様子。
2枚目の写真は水路の遺構が残っている上流側。
③上流側(酒匂堰)の暗渠出口。
iPhoneの計測アプリで実測を試みたが「もっと近づけ」の表示が出て計測不能。屋外の離れたものを測量するアプリではないらしい。
やむを得ず、この数10年不変の自分の身長を基準に、測量を実施。(1Kanatecは1.77m)
間宮さんや伊能さんの方が遥かに精度が高い。
体を使った測量の結果;
- 暗渠の出口は、幅1.7mx高さ0.4m=開口面積0.7m2程度
「毎秒5トンの余水吐水路」なので、流速は最大で7m/s・・・流れるプールの10倍超で速すぎない?落ちたら助かりそうにない。(=そもそも、測量がインチキくさい) - 下の写真で白い車が見える酒匂堰右岸の道路を基準にして、水路の底面高さは-3.7m程度
④水路の暗渠部分は、防草シートで覆われた空き地になっている。道路にするニーズもなく、家を建てるには幅の狭い傾斜地なので、いまいち使い道はなさそう。
⑤酒匂堰を渡って反対側から見てみる。それほど新しい感じはしないコンクリートの護岸には、余水吐水路の入口的な痕跡はない。かなり以前に廃止された模様。
なお、平常時で水面から右岸の道路までの高さは-3.5m程度なので、ポンプ等は使用せず重力のみで水路への水の取り込みは可能と考える。
■まとめ
- 昭和34年に建設された、酒匂堰の洪水時の余水を、下菊川に排除(毎秒5トン)する余水吐水路の遺跡であることが確認できました。
- 廃止時期が不明で、酒匂堰側の取水口は、その痕跡すら残ってません。
- ここ数年の下菊川の改修工事に伴い、水路遺跡の下流=下菊川との接続部分は埋め立てられています。
- 現存する水路の暗渠や開渠部分は、埋め立ててもあまり使い道のなさそうな形状と広さに見えます。この辺りは低地で浸水の恐れがありそうなので、大雨の際の貯留施設として水路遺跡を残しているのかも?(上記②の写真下側を見ると、雨水溝になっている)
(おわり)