関東大震災について改めて学ぶ

1923(大正12)年に発生した関東大震災から、9/1でちょうど100年。小田原から見た関東大震災はどんな状況だったのか調べてみました。関東大震災というと、東京の火災被害が甚大なので首都直下の地震と思いがちですが、震源や最大震度は小田原なんですよね。

以下、特に明記のない場合、出典は「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年7月 1923 関東大震災/内閣府 防災情報のページ」になります。

▪️発災とメカニズム

全体概要
発生日時1923(T12)年9月1日 11:58今年でちょうど100年
震源域相模トラフ*1,*2震源は小田原〜三浦半島先端
地震の規模M7.9東日本大震災はM9.0、阪神淡路大震災はM7.2
(マグネチュードが1異なると、地震の規模は32倍異なる)
  • *1:相模トラフとは、小田原沖から南東に延び、房総半島沖合を回り込んで日本海溝に続く水深1000〜3000mの舟底形状の地形で、北米プレートにフィリピン海プレートが沈み込む領域
  • *2:相模トラフを震源域とする過去の地震は、1703年の元禄地震(千葉県沖を震源)の記録あり(
    相模トラフにおける地震活動周期は200〜400年)
我が家の真下〜目の前の海底が震源域だ!
国府津−松田断層帯は海側で相模トラフと繋がっており、相模トラフで発生する海溝型地震と同時に活動すると推定されます。 その際には断層近傍の地表面では、北東側(ミカン山側)が南西側(梅林側)に対して相対的に3m程度高まる段差や撓みが生じると推定されます。
断層モデル
1965年頃の研究にて、
①断層のすべりは松田町の深さ25kmあたりで始まり
②3〜5秒後に小田原付近の大きな滑りを誘発(第1イベント)
③その10〜15秒後に三浦半島先端付近で第2の大きなすべり(第2イベント)が発生

ところが・・・

テレ朝のニュースを見ていたら、名古屋大学の先生が異なる断層の破壊過程について説明していました。関東の震度計の多くが振り切れてしまい正しい震度が測れず、岐阜などの離れた震度計を解析した結果だそうです。いずれの説でも小田原から断層破壊が始まった点は間違いないようです。

◾️小田原における被害状況

最大震度7
  • 震度7の範囲は、震源に近い沖積低地の酒匂川低地、相模川低地並びに館山付近
  • 震度7の範囲は、震源となったフィリピン海プレート上面までの深さが10kmと浅い
  • 断層が大きく滑った領域(アスペリティ)は小田原と三浦半島沖であり、このエリアで最大震度を観測
  • 火災による甚大な被害を受けた都心の震度は概ね6弱
根府川周辺で甚大な土砂災害発生

地震前日の雨(丹沢や箱根で60mm程度と推定)、地震発生時の揺れ、さらにその2週間後の大雨により、土砂災害が多数発生。この中で特に小田原市内で人的被害が大きいものをまとめてみました。

片浦村根府川白糸川上流の日陰・大洞窟にて山体崩壊し、白糸川を岩屑なだれが流下。(山津波)
人家64戸埋没、死者408名。
海水浴中の児童が山津波と津波に挟み撃ちになり20名死亡。
国鉄根府川駅根府川駅背後の斜面が地滑りを起こし、駅舎と停車中の列車が海中に転落
直後に津波が来襲し死者200名。
根府川の海底には、今でもレールやホームの残骸が震災遺構として残っているらしい。
(Ref. TBS 9/1放送 関東大震災100年 あす巨大地震が来たら
片浦村米神石垣山斜面のミカン畑が地滑りを起こし土石流になって流下。
人家21戸埋没、死者62名。
曽我村上曽我竺土寺(チクドジ)の墓地が地滑りを起こし、人家3戸埋没、死者13名。
(各地)地震発生後、9/12〜15に集中豪雨(4日間連続雨量200~300mm)
各地で地震による崩落土砂が土石流となり被害を拡大
・曽我八津 剣沢川上流で土砂崩落により天然ダム→崩壊し国鉄線路が埋没

根府川以外でも、箱根の早川や須雲川流域で多数の崩落が起きています。火山系の山体は一般に脆いのですが、前日の推定60mm程度の雨量で、白糸川上流から河口まで約4kmも岩屑が流れるのか?

白糸川源流付近から河口までの標高差は約600m、距離は約4kmなので、平均傾斜は15%ほど。この傾斜でドライな岩石が流れるのが不思議。(大量の水を含んだ伊豆山の土石流とは違う)

活動中の火山の溶岩ドームの崩壊とか山体崩壊は、火山性のガスを巻き込むことで岩屑が流動的になると聞いたことがありますが、白銀山は今から約50万年前の古期外輪山の一部なので、「火山性ガスを巻き込む」ことは考えにくい。

この規模の崩落を「砂防ダム」で止めら得るとは思えないので、次の大地震発生の際どうなるんでしょう。

液状化は市内の17箇所で発生

震源に近い小田原では、酒匂川の砂礫地盤のため「噴砂」は少なく「噴水」が発生。特に酒匂川左岸の鴨宮付近で多く発生。(御殿場泥流の堆積物の影響とのこと)

津波は数m
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熱海や伊豆大島が最大で12m津波を観測、小田原を含む相模湾周辺から房総で数mを記録。藤沢や熱海などの東伊豆の津波被害の情報は見つかったが、なぜか根府川での被害以外で小田原市街地での津波被害の情報や写真が見つからない。小田原市街地では「津波被害<<家屋の倒壊&火災」だったのか?

火災被害は甚大
市内中心部の火災発生状況(Ref. 関東大震災と小田原/ツナガルマップ

市内中心部の大規模な火災のみ纏めてみました。お昼時であったため、実際はもっとあちこちで出火し南西の風に煽られ住宅街に広がり、各所で火災竜巻が発生したそうです。

関東大震災と小田原/ツナガルマップに火災現場の写真もいくつか掲載されています、

建物の崩壊

阪神淡路大震災では神戸で最大震度6、東日本大震災では宮城県栗原市で最大震度7に対し、関東大震災では小田原で最大震度7。100年前の建物が震度7には耐えられず、市内は壊滅的被害を受けました。

開業直後の小田原駅(左)とちんりゅうの塔(右)
(Ref. 関東大震災と小田原/ツナガルマップ

地震発生の三年前、1920年(T9)に開業したばかりの小田原駅舎や駅前の漬物の老舗「ちんりう」の塔も被災しています。(ちんりゅうさん、繁盛していたんですね)

ご近所の山王橋の被害状況(右側は仮橋?)
(Ref. 土木学会附属土木図書館

ご近所の国道1号線に架かる山王橋も落ちていますが、地震の揺れによるものかそれとも津波の影響か?

酒匂橋や早川橋も落ちており、この辺の詳しい被災状況は、「土木学会附属土木図書館」の「関東大地震震害調査報告掲載写真/橋梁の部」に詳しく掲載されています。

鉄道への被害

開業三年後の小田原駅構内
(Ref. 関東大震災と小田原/ツナガルマップ

小田原を含めた鉄道関連の被災状況は、「土木学会附属土木図書館」の「関東大地震震害調査報告掲載写真/鉄道・軌道の部」に詳しく掲載されています。

下曽我方面から跨線水路橋を望む
(Ref. 関東大地震震害調査報告掲載写真/鉄道・軌道の部

当時の東海道本線はまだ今の御殿場線ですが、写真を見ると至るところで築堤が崩落しており線路は壊滅的です。線路のすぐ近くに国府津−松田断層帯が走っています。

注)当時の東海道本線は現在の御殿場線ルートで複線でした。

流言・デマ

小田原町にて:3日午後、横浜の刑務所から解放された邦人、朝鮮人、社会主義者が合同して来襲し、毒薬を井戸に投げ入れ略奪殺害、あるいは婦女子に暴行をするというもので、町内が騒然となり、各町ではにわかに竹やりをつくって警戒に努めた。(片岡日記)
早川村にて:午後11時30分ごろ、焼け跡から突然大音響を発して大爆発が起こった。避難民は地中の噴火と思い周章狼狽したが、実は同村の火薬商太田昇方所有のコンクリート製の火薬庫が火災の余熱で自然爆発したものであった。幸い、昼の延焼火災で付近一帯の住民は避難していたのでけが人は出なかったが、地震の原因として火山爆発云々がささやかれていた折であったので、人々を強く動揺させた。

出典は関東大震災と小田原/ツナガルマップです。

▪️参考文献

  1. 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年7月 1923 関東大震災/内閣府 防災情報のページ
  2. 関東大震災と小田原/ツナガルマップ
  3. 土木学会附属土木図書館