正体不明の斜めの道の探検(第1話)は、酒匂川左岸の桑原から酒匂の国立印刷局 小田原工場までの導水管が埋設された道路でした。今回の第2話は、小田原ダイナシティウエストの南側に伸びる正体不明の斜めの道です。
さてその正体は!?
■机上確認
上記の地図を見てなんとなく予想できるのは;
- 酒匂堰の万石橋のすぐ下流、現在の中里第二公園付近に取水堰があった
- そこから南東方向に、用水路または導水管があった
- 現在はダイナシティイースト(マロニエ)の敷地にかかった部分で途切れているらしい
こんな推理です。
ダイナシティーは、2000年に株式会社ダイドーリミテッド(旧 大同毛織株式会社)の工場敷地跡に建てられた商業施設で、前身の工場自体は1953年に建設されたそうです。(Ref. ダイドーリミテッドグループの沿革)
ということは、1950年代以前に遡れればヒントがありそうです。それでは「タイムマシーンにおねがい」してみましょう。
これを見る限り、工場建設翌年の1954年並びに、その後1984年の段階では正体不明の斜めの道は存在していません。
ということは、工場建設から20年以上経った1984年以降に正体不明の斜めの道ができたことになります。もしこの道の下が用水路(暗渠)または埋設された導水管なら、工場敷地の下に埋設されているということでしょうか?
■現地確認
正体不明の斜めの道は、酒匂堰から取水し、再び酒匂堰に流れ込んで終わる水路のようです。ただし、何の目的の水路か謎です。
途中流路を見失ってしまい不確実さが残りますが、取水点から終点までトレースしてみました。水量と位置関係的に、たぶん間違いないと思いますが。。。
1️⃣取水点(下堀付近)
取水点は、酒匂堰の左岸にあります。取水後は、酒匂堰左岸に沿って南下していきます。
2️⃣暗渠(中里第二公園付近)
住宅街の正体不明の斜めの道は、ここから始まります。
3️⃣開渠
120mほどの開渠部分があります。稲作が終わった時期にしては、水路のサイズ的に結構水量があります。(この水量をこの先の探索の手がかりにします)
4️⃣ダイナシティ(ウェスト)の敷地を迂回
今回の現地調査での小発見です。ダイナシティウエストというか、当時の大同毛織の工場敷地を斜めに突っ切っていたと思っていた水路は、なんと工場敷地の縁に沿って迂回しています。
5️⃣暗渠のルートを見失う(マロニエの西側)
正体不明の斜めの道がマロニエに突き当たったところで、暗渠のルートを見失いました。
暗渠のルートを探す手がかりは、アスファルト道路にコンクリート舗装された部分と、雨水排水溝とは異なる大きめなグレーチングなのですが、これを見つけることができません。
6️⃣郵便局前から開渠
下流方向の探索の結果、郵便局の南側に開渠が現れ、東=フレスポ方向に流れています。結構な水量です。
この付近に、他に2本水路らしきものがありますが、この日は全く水が流れていません。
7️⃣シティモ東側で暗渠
水路は旧日立の敷地にぶち当たってしまうため、水路は暗渠になって南に向かい、シティモ(フレスポ)の東側の道路の下を暫し流れます。
8️⃣ダイハツ裏から開渠
ダイハツの裏で東に流れを変え、旧日立の敷地の境目から開渠になり、再び東方向に流れます。
▲謎の「農薬排水路」を発見!(巡礼街道のヤナセの前)
本日一番の大発見、この水路の用途の謎を解くかもしれない衝撃的な看板です。
酒匂堰に合流して終わり
東海道線の下を抜けた水路は、この先、酒匂堰に合流して終わりです。
今現在は、水路の途中にこの水を必要とする施設は見つかりませんでした。
■かえって謎が深まった
水路の流れはわかったとして、
- 1984年以降、この用水路を建設した目的は?少なく元も現時点で、流域にこの用水路を必要とする施設は想像できません。
- 用水路の名称や、ガードの名称に出てくる「農薬」とは?1984年以降に建設という時代的に、農薬そのものを河川に排水するとは考えにくい(*1)ので、農薬関連の工場の用水とその排水のための水路だったのか?(*1:水質汚濁防止法は1971年6月24日に施行)
(後編に続く=日曜日はお天気が悪そうなので、再び机上調査を再開)