小田原周辺の謎(15) 山崎の崖崩れの痕跡?

地図の閲覧は、GoogleMapsと国土地理院をありがたく無料で利用させていただいています。

この情報をタダで閲覧できるのはとても素晴らしいのですが、仮想敵国もこの情報をタダで閲覧しているはずで、せめてもの抵抗を示すため、仮想敵国からアクセスしてきた場合は、ご近所の美味しい街中華屋さんのWebにリダイレクトしてあげるか、くまのプーさんのイラスト付きで「404エラー」を返してあげたい。

■GoogleMapsと国土地理院、そして小田原プラットフォーム

別にどちらが優れているとかではなく、それぞれの特徴をうまく活用しています。

  • GoogleMapsのStreetvViewは素晴らしい。事前調査の際に街並みの様子を脳内にInputすることで、「déjà vu(デジャブー)」感覚で現地調査可能です。
  • GoogleMapsのStreetViewが過去に遡れるのはノーベル賞もの。もしこのサービスが未来永劫続いたら歴史学や考古学に革命をもたらします。
  • 地形や水路を見るなら国土地理院の地図。そこから過去の航空写真(終戦以降)を見たり、地質図や活断層を確認するに最適。
  • 特に国土地理院の地図に連動して見られる「赤色立体地図」は、周辺と異なる特殊な地形を識別するのに最適。これを使うと、真鶴から伊豆高原あたりに多数の火山の噴火口跡あるのがわかります。
  • 航空写真の画質は、国土地理院の方が優れている。GoogleMapsはStreetViewのために道にラインを引いてしまうので、航空写真として画質が落ちる。
  • 過去に遡って見たい場合は、小田原プラットフォームも活用している。

■山﨑の崖崩れの痕跡?

そうこうしながら足柄平野を国土地理院の地図で眺めていたら、箱根町の山﨑の南側に怪しい地形を見つけました。山が早川の谷に向け崩れているように見えます。関東大震災の時の根府川白糸川の岩屑なだれ(山津波)の被害は甚大でしたが、この場所も同時期に崩壊しているのでしょうか?

国土地理院の地図
国土地理院の航空写真

国土地理院の航空写真だと、ちょうど日陰で肝心な場所が見えません。体型改善の運動がてら、現地を確認しに行きましょう。

明らかに山がえぐれています。これはかなりの規模で崖崩れが起きたと思われます。

山腹には岩肌が露出している部分があります。灰色の岩で、垂直方向に筋が入っているのが見れます。崩落した山腹にはすでに樹木が生えていますが、両側の部分と比較すると低木に見えます。

崩落域の真下の河原には大きな岩が多数ありますが、角の取れた丸い岩なので崩落してきた岩ではなさそうです。

■考察 いつ頃発生した崖崩れか?

関東大震災の時の土砂災害を緊急調査したレポート「関東震災(1923)時の震災地応急測図原図と土砂災害(2008)」のP.62(表1)に、当時の土砂災害一覧表があるのですが、そこにはこの場所に該当する記述はありません。この地震では多数の土砂災害は発生しているので、すべて記載されない可能性もあります。

ではいつ崩落したのか?特に崩落の原因となる河川はないので、原因は地震でしょうか?それでは、小田原プラットフォームと国土地理院の過去の航空写真を使い、年代を追って地図と航空写真を見ていきましょう。

1916年の地図

関東大震災が発生したのは1923(大正12)年なので、地震発生前の状態です。この地図を見る限り、崩落の痕跡はありません。

1947年の航空写真

終戦後2年目に米軍が撮影した航空写真です。判断が難しいが、崩落の痕跡がどうかまではわかりませんが、”何か”があるのが見える。

1954年の地図

問題はこの地図。戦後に作られた地図なので、十分な精度があると思いますが、この地図の等高線を見る限り、1954年には崩落の痕跡はありません。

該当箇所に点線(=補助曲線?)が引かれているのが気になる。

1961年の航空写真

判断が難しい。

1974年の航空写真

この航空写真からは、崩落の痕跡のようなものが見える。

1984年の地図

この地図には崖崩れの痕跡が明確に書かれています。「政府地震調査研究推進本部(地震本部)」の情報だと、1954年以降には、このエリアで特筆する大きな揺れが発生した地震はない。

■最新のハザードマップ

最新の神奈川県土砂災害警戒区域等

黄色が警戒区域、赤が特別警戒区域ですが、崖崩れ跡と思われる箇所は指定されていません。

崖の下には民家も道路もないので、警戒対象ではないのか、それとも土砂災害の発生リスクが低いのか。。。

ただここが大規模に崩落し、早川に自然のダム(河道閉塞)が起きると、下流域はかなり危険なはず。

■結論?

1923年の関東大震災で崩落したものなのか、よくわからない。ちなみに、根府川の山津波の発生源とされる聖岳の崩落地形は、1954年の地図に書かれている。

震災前 1916年の地図
震災後 1954年の地図

もしかして自然災害ではなく、昔の採石場(石切場)の跡だったりして?あの山の裏側には、有名な早川石丁場もあり、箱根火山により生成された安山岩を石材として切り出していた。ということは現在も露出している灰色の岩盤は安山岩で、縦に入った筋は節理の様子?

結構貴重な場所のようですが、道もなく落石の危険もありそうで、近づくのはやめておこう。

■2022.12.15追記

いまから38年前の1984年の地図を見直した結果、気になる点が2件見つかりました。

崩落地と思われる場所のすぐ西隣に煙突が立ってます。また崩落地内に地図記号不明の”何か”が書かれています。

Google StreetView(2015撮影)

煙突があったあたりは、今は道が途切れて行き止まりになっている場所で、駐車場となっているあたりに何か工場などがあったのかもしれません。

当時の航空写真でも、なんかこの辺にあるんですよね。崖崩れではなく砕石場説が強くなってきた。。。

1961年の航空写真
1981年の航空写真

現場が日陰になってないクリアな航空写真を探して見たところ、1961年と1981年の写真が見つかりました。やはり何か行われている様子が見えます。20年に亘り災害復旧工事とは考えにくいので、何かの工場もしくは現場があったような予想が。。。

(一旦終わり)