足柄平野の最高クラスのパワースポット「大雄山 最乗寺」。このお寺さんへの参拝客を運ぶため作られた大雄山線は、今では12分間隔で運行し、駅間も短く、そして滅多に止まることがないため、とっても使いやすい地元住民の足になってます。
なお、Kanatec自身は生活パターン的に乗車する機会はなく、これまで以下の2回しか乗ったことはないですが、田んぼや住宅街の中をのんびり走る姿を見るのが大好きです。
- 特に用事はなかったが、試しに小田原〜大雄山駅間を完全制覇(往復)
- 大雄山線に沿ってウォーキングしてみたが、疲れたので井細田から小田原に戻る
なお、駅舎調査は2004年に実施済みで、18年経っても特に変化はないようなので、今回は沿線を自転車で巡って、気になるものをレポートしたいと思います。
■大雄山線の歴史
Wikipediaの情報をもとに、大雄山線の歴史を整理してみます。
1923年(大正12年) | (関東大震災) | ||
1925年(大正14年) | 仮小田原〜大雄山間(9.01km)が開業 | ||
1927年(昭和2年) | 新小田原〜仮小田原間を延線 (仮小田原駅は、相模広小路駅に改称) | ||
1933年(昭和8年) | 大雄山鉄道が箱根土地(現・プリンスホテル)の経営傘下に入る | ||
1935年(昭和10年) | 新小田原〜相模広小路間に緑町駅開業 (現)小田原〜緑町間延伸開業 相模広小路駅(旧仮小田原駅)廃止 →現在の路線になる |
ターミナル駅である小田原駅に、仮〜新〜(現)の3つがあるのがポイント。
本家の(現)小田原駅の当時の状況はというと、
- 1920年(大正9年)に、省線熱海線の小田原駅開業
- 1927年(昭和2年)小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)小田原駅が開業
1925年(大正14年)開業の大雄山線とほぼ同時期、1927年(昭和2年)に小田急線も小田原駅乗り入れしており、小田原駅構内の陣取り合戦がで厳しかったと想像します。
- 小田急線は省線熱海線(現在の東海道線)の北側を陣取りできたので、省線熱海線と立体交差することなく小田原駅構内に入線できた
- 大雄山線は省線熱海線の南側のため、省線熱海線との立体交差が必要
さらに1933年(昭和8年)に大雄山線が西武グループになることで、小田原の地でも西武VS.小田急の「箱根山戦争」が繰り広げられます。
■小田原駅の変遷
1925年(大正14年)〜 仮小田原駅(跡)
今は駅があったスペースはなさそう
1925年(大正14年)開業の仮小田原駅とされる場所です。現状では何ら明確な痕跡は残っていません。
個人の感想ですが、下の写真の新幹線高架下のスペースが、「仮小田原駅」の跡地のような気がします。
一応仮とは言え駅なので、相応なスペースは必要と思いますので、新幹線ガード下がいい感じです。
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この先、緑町駅に向けJRのガードをくぐり、レール摩耗防止のために散水する急カーブとなります。
1927年(昭和2年)〜 新小田原駅(跡)
大雄山線は、仮小田原駅から先へ、省線熱海線の下を南側にくぐり、小田原中心街(海側)へ延伸します。ただしまだ(現)小田原駅には乗り入れることはできません。
現在駐車場になっているスペース
仮小田原駅の場所は、小田原駅北東の「東通り商店街」交差点付近との情報なので、同交差点の北東側の駐車場になっているスペースでは?と思います。(個人の感想)
理由は、
- 昔ターミナル駅だったような、いい感じのスペースが駐車場として残されている。
- 現状の(現)小田原駅へ線路は、駅に向かってかなり登っており、この傾斜した線路上に駅を作るのは難しそう。新小田原駅は、1段下のこの平地部分ではないか?
- 1枚目の写真から150mほど緑町駅寄りに、2枚目の写真で示す謎のコンクリート製の基礎構造がある。面積並び痕跡的に建物の基礎ではなく、通路のよう。新小田原駅の痕跡か?
1935年(昭和10年)〜(現)小田原駅まで延伸
やっと小田原駅構内までの乗り入れが実現します。
1枚目の写真が、先代の(現)小田原駅舎です。現在は伊豆箱根鉄道の関連施設として使われてます
1935年(昭和10年)に小田原駅乗入れが実現できても、まだ駅舎は別だったようです。
今でもしっかりメンテナンスされた建物で、昭和の香りが残っておりとても素敵な建物です。
2枚目の写真は、2003年に小田原駅が新駅舎へ切り替え後の、現在の(現)小田原駅です。普通の駅舎ですが、やはり今でも駅舎はJRや小田急線と別の建物です。
大人の事情により、建物の外装デザインは合わせてますが、路線名と駅名の金文字看板は、スペースいっぱい自己主張してます。
■Odawara Stream 1?
けやき通りのアンダーパスになっている部分の側道、大雄山線の西側から小田原ガス敷地に隣接する部分が、フェンスで覆われ通行できなくなってます。
よくみてみると、側道からアンダーパスを跨いで、かなり太いガス管が通っているため、側道が封鎖されている様子。
■山王川橋梁
■木製の枕木
五百羅漢駅構内で見つけた木製の枕木。ちょうどポイント部分で長さが規格品では足らないので、木製でカスタムしている様子。
駅のすぐ南側の山下踏切付近では、交換されて間もないような、新しい木製の枕木も見ることができます。
(2022.10.22訂正)
山下踏切付近に設置されているオレンジ色の新しい枕木は、木製ではなく、ガラス繊維と硬質発泡ウレタン樹脂との複合材料で、合成枕木と言うものらしい。
■危険 通行禁止
ちょうど安全策がなく、足場も踏み固められて歩きやすそうに見えますが、線路内は危険のため、絶対に通行してはいけません。
■謎のアンダーパス?
多分、元々は小川が流れていたような場所ですが、普段は水が枯れており、住民の皆さん向けのアンダーパスになっている様子。
頭上高が極めて低く、通行の際は頭をぶつけないよう細心の注意が必要です。
■穴部用水に架かる橋
飯田岡駅のすぐ南側、狩川から穴部用水を取水している場所です。
狩川が増水した際は水門を閉めればいいので、線路が冠水することはないんでしょう。
■狩川橋梁
塚原駅の北側で、狩川の左岸に渡ります。
大雄山最乗寺に向かうなら、川を渡らずにこのまま右岸を行けばよさそうですが、大雄山駅設置にあたり地元で綱引きがあったようで、今の場所(狩川左岸)になったそうです。
線路と交差するこの土手道は、両岸とも踏切はないので、決して線路を渡っては行けません。お散歩の皆さんは、土手を降りて線路の下をくぐっている様子。
(2枚目の写真:この上流の右岸側に山が迫り出している場所があるので、それを避けたのかも?)
■駒形新宿の高台を東に迂回
駒形新宿あたりには、謎の高台があります。線路はこの高台を東側に迂回します。
この高台はどうやってできたのでしょう?後で調べてみましょう。
■切り通しで高台の西側に出る
和田河原駅の北側で、切り通しを抜けて高台の西側に出ます。ここは、前述の駒形新宿の高台ではなく、北から伸びてくる高台の切り通しです。(下原トンネルの高台の南端部分)
この高台は、大雄山線を跨ぐ唯一の路線橋になってます。ここからの足柄山地や矢倉岳の眺めが最高で、方向的には矢倉岳の先に富士山があります。
■大雄山駅に到着
茶色のボディーの古そうな車両、何でしょう?撮り鉄さんたちが写真撮影していたので、歴史的に価値がある車両のようです。
ネットで調べてみると「コデ165」という車両で、貴重なものらしい。それに色は茶色ではなく葡萄色というらしい。
鉄道には疎いのでこの辺で終了。
■編集後記
断片的に気になっていたものを、今回一気に現地確認し、まとめてみました。
最後に気になったのは駒形新宿付近の高台の生い立ちで、狩川や酒匂川が削り残した場所?
標高差10m程度のテーブルトップ状になってます。県道74号線を車で走っていると、生駒入口の交差点から大内病院あたりで、切り通しの小さな峠で高台を超えていますが、電車はそうは行かず、高台を東に迂回しています。この迂回部分は、駅で言うと塚原〜和田河原(注:ワダガハラと濁らない)間で、大雄山線で最も駅間が長い(1.9km)場所です。
ちなみにその一つ手前の岩原〜塚原間は、大雄山線で最も駅間が短い(0.3km)場所で、小田原〜緑町の0.4kmより短くこの間の線路が直線なので、隣の駅がよく見えます。
話を戻して、この謎の高台をもう少し広域に見てみましょう。
- 東側は酒匂川に、西側は狩川に侵食された感じだが、そもそも昔の酒匂川や狩川がどこを流れていたのか?
- 頂上部分が平らなのは、山地形の削り残しではなく、もともと平らな地形だったのか、それとも宅地開発で削ったのか?
- 北の怒田方面からびてくる高台と、かつては繋がっていたのか?
- 駒形新宿の高台の北西部分の湾曲した端部の形が気になる。
鴨宮の台地は富士山からの土石流/泥流の削り残し、千代の台地は箱根の噴火による堆積物(テフラ)の削り残しらしいので、駒形新宿の高台の生い立ちはどちらだろう?
地形の変化点には何かある、もうちょっと勉強してみました。
国土地理院発行 土地条件図(小田原)より
駒形新宿の高台、やはり御殿場泥流の堆積物の削り残しだったようです。北から伸びてくる高台(下原トンネルの高台の南の先端部分)も、生い立ちは同じのようです。
土地条件図の足柄平野に関する解説に、以下の記述もあります。
■号外:滅多に止まることがない大雄山線が計画運休!
列車運休のお知らせ 『2022年11月17日』 伊豆箱根鉄道株式会社 大雄山線では、車両の定期検査・整備に伴う車両輸送 のため、下記の電車は運転休止となります。(以下省略)
- これは専門用語で言う「甲種輸送」ってやつで、標準ダイヤ2本分の枠を使って、点検用の車両を輸送する?
- だとすると、大雄山駅から、駿豆線の大場(ダイバ)の車庫に運ぶ?
- この際、大雄山駅で目撃した「コデ165」という車両で牽引する?
- 「標準ダイヤ2本分の枠を確保してあるので、2編成を輸送する?
- ではなくて、小田原駅構内でJR東海道線に乗り換えるので、そのための線路切り替えや、「コデ165」回送のための作業時間確保している?
鉄道車両や運行に関しては全くの素人なので、全然予想がつかない。
こういうのって、撮り鉄さんたちは好きなんですよね。11/17は木曜日の平日ですが、ちょこっと仕事をサボって撮り鉄さんたちの罵声が飛び交う撮影会と、開通3年後の昭和03/1928年製の「コデ165」という車両が牽引する「甲種輸送」というのを見学したいです。