東海道五十三次 リモート・ツアー(5) 三河国編 

コロナ禍での運動不足で体型に重大な問題が生じており、その対策として自転車で小田原周辺を走ってますが、限りある足柄平野には、新たな訪問場所や目的地がなくなりつつあります。

純粋に運動目的だけでサイクリングが続けられるくらいなら、初めから体型が崩れることなどありません。

いろいろ検討の結果、走行距離自体を目的にできないかと思い、さすがに日本一周とかシベリア鉄道では距離がありすぎるため、適度な距離感の「東海道五十三次 リモートツアー」を企画してみました。

さらに、3月上旬から再開した平日ウォーキング(散歩ともいう)の距離も、せっかくなので移動距離に加算することにします。(本来はこれが正しいような気がします)

■ルール

  1. 江戸 日本橋をスタートし、京 三条大橋(495.5km)を目指す(バーチャル)
  2. 自転車の走行距離だけ、”すごろく”のように東海道五十三次を進んだことにする(進める距離だけはリアル)
    (2022.03.12:平日ウォーキング(散歩ともいう)の距離も加算することに変更)
  3. 各宿場では、広重さんの「東海道五十三次」に描かれた場所をGoogleストリートビューやネットで探し、旅行気分を味わう(バーチャル)

■現在の位置

■(5)三河国編の概要

⏩ ここより前、遠江国編

宿場名(日本橋からの距離)旅のルート、難所、要衝
33 二川 (283.2km)現在の愛知県豊橋市二川町と大岩町。
 ⏬JR東海道線/東海道新幹線の北側を並行して進む。
この辺りから、三河湾と伊勢湾を迂回するため、進路を北西にとる。
34 吉田 (289.3km)現在の愛知県豊橋市中心部。徳川家の天領で、吉田城の城下町。
 ⏬豊川を渡り、名鉄線に沿って進む。
35 御油 (299.5km)「ごゆ」と読む。現在の愛知県豊川市御油町。
 ⏬宿場間の距離わずか1.8km程度、名鉄線/国道1号線に沿って進む。
36 赤坂 (301.3km)現在の愛知県豊川市赤坂町。
 ⏬ 2022.04.30通過名鉄線/国道1号線に沿って進む。
37 藤川 (310.1km)現在の愛知県岡崎市藤川。
 ⏬名鉄線/国道1号線に沿って進む。
38 岡崎 (316.8km)現在の愛知県岡崎市中心部。岡崎城の城下町。
 ⏬矢作川を渡り、名鉄線/国道1号線に沿って進む。
39 池鯉鮒 (331.8km)「ちりゅう」とよむ。現在の愛知県知立市。
 ⏬ 2022.05.08通過逢妻(あいづま)川を渡り、刈谷市に入る。

⏩ ここより先、尾張国編

2022.04.30 二川宿(猿ケ馬場)

「二川の宿の入口付近」AND「豊橋に向かう車窓から右手(新幹線or在来線)」でいうとこのあたりだが、丘陵地ではない。

豊橋市として街並みを保存しているようで、狭い道と昔の雰囲気を残す町屋造りの家並みが残ってます。

さて、広重さんの描いた柏餅屋さんはどのあたりでしょうか?街道沿いで「猿ヶ馬場」という地名を探してみますが、見つかりません。「二川の宿の入口付近」とか、「豊橋に向かう車窓から右手に見える(何線の車窓なのか書いてない!)」とか、断片的な情報はありますが特定に至りません。

全く別な情報として、もっともっと手前の境宿に、この柏餅屋さんがあったということです。確認のため、境宿界隈の東海道を進んでみますが、やはり柏餅屋さんは見つかりません。

決め手となる情報がない。(特定できず)

タラレバの話

この柏餅屋さんに関し、広重さんよりもずっと前の時代の話です。

小田原征伐に向かう途中の秀吉が、「戦の前に”勝ちは餅”とは縁起がいい」と聞き違えた名前に気をよくし、兵のために餅を全て買い上げ、士気を高めて戦に向かったところ見事大勝利!(丸八製菓Webより)

ということは、ここで柏餅が売ってなかったり、秀吉さんが喉に餅を詰まらせ、最悪の事態が起こっていたら、日本の首都は東京ではなく小田原で、東海道五十三次も小田原 酒匂橋がスタートだったに違いありません。

勝和餅(丸八製菓)
静岡-愛知県境(豊川市側)、柏餅屋さんはこの辺のはずだが。。。

2022.04.30 吉田宿(豊川橋)

視点を天守閣近くに持っていくのが難しい

GoogleEarthで広重さんが描いた場所を特定できました。もちろん空中に浮かんで描くわけにはいかず、近くに天守と並ぶ高さの場所もないので、鳥になった気分で描いていたのでしょう。

今の小田原城のように、一般人が天守に上ることなどあり得ないので、この高さから橋や街並みの遠景は、脳内で組み立てられた景色。。。空間認識能力が素晴らしい。

描かれている橋は豊川橋で、東海道の四橋に数えれられたものです。四橋とは、江戸日本橋と京都の三条大橋を含めるのか?もし含めると、残りの一つの橋はどこ?

2022.04.30 御油宿(旅人留女)

味噌・醤油のイチビキの工場

今なら検挙レベルの強引な客引きです。それにしてもこの時代に、遠近法は誰からどうやって習ったのでしょう?遠近法は、ルネサンス時代に確立した西洋の画法って聞いたことがあります。

歴史のありそうな狭い路地と松並木や、味噌・醤油のイチビキの工場がある町です。次の赤坂宿までは、街道最短のわずか1.8km程度です。

2022.04.30 赤坂宿(旅舎招婦ノ図)

大橋屋(旧旅籠鯉屋)

旅籠内部の様子なので場所の特定は困難ですが、赤坂には「大橋屋(旧旅籠鯉屋)」と、「赤坂休憩所(よらまいかん)」という観光施設がありました。

2022.05.08 藤川宿(棒鼻ノ図)

藤川宿東棒鼻

宿場町の江戸側の入り口付近に、しっかり観光名所になっています。ただし、絵に描かれた高札場跡はここから500mほど宿場の中心に寄ったところにあったようです。まあ大人の事情が色々あると思いますので、あまり拘らないようにしましょう。

棒鼻とは、「ここより◯◯宿」と書かれた案内用の四角い木の杭のこと。街道沿いの宿場の東西入り口にあるが、版画の解説に「江戸から来た役人の出迎え」とあったので、江戸側の棒鼻を想定。

2022.05.08 岡崎宿(矢矧之橋)

矢作橋

街道で一番長い橋で、現在の記載は「矢作橋」です。これが、東海道の四橋の一つ?

右奥に見えるお城は家康さん誕生の地である岡崎城。こちらに行った際のお土産は八丁味噌でしょう。

2022.05.08 池鯉鮒宿(首夏馬市)

町の東に立つ石碑

「ちりゅう」と読みます。現在は「知立」と書きますが、知立神社の池に鯉と鮒がたくさんいたので「池鯉鮒」となったそうです。

この景色は年に一度開催される馬市の様子で、開催場所は町の東の外れ。名鉄牛田駅の近くに、それっぽい石碑がありましたが、実際ここなのか確認できませんでした。

⏩ ここより先、尾張国編