小田原駅を中心に、半径1kmほどのエリアに、緑町が3箇所あります。
①小田原市緑
こちらは正規の町丁名ですが、場所は小田原城総構稲荷森や山ノ神堀切がある山の中で、いまは農作業小屋以外に住居はないような場所です。(誰か住んでいたら、ご容赦を)
狭い農道を挟んで南側は城山、北側の斜面下は荻窪になる静かな場所(=寂しい場所)です。
②大雄山線 緑町駅
今の住所で言うと栄町3丁目です。
③緑町バス停
今の住所で言うと栄町2丁目で、大雄山線の緑町駅からは600mほど離れています。
■考察
大雄山線が開通したのはT14=1825、ただし今の小田原駅まで乗り入れたのはその後しばらくしてから。
バス停は、路面電車が廃止されたS31=1956以降に設置されたのでしょうか。。。いえいえ、路面電車は箱根板橋までなので、それ以外のバス路線はもっと前からあったでしょう。
そんな昔の話ではないのですが、S41の新住居表示制度が始まる前までは、栄町の辺りは「緑」という町名だったのです。それなら、大雄山線の緑町の駅名も、緑町のバス停名も納得ですね。
余談ですが、この広報おだわらはKanatecが4歳の頃の発行ですが、「町名であつて」とか「カツコ内は」とか、小さい文字=「捨て仮名」「半音」は使ってないんですね。時代を感じます。
と言いつつも、今でもバス停や交差点名などには、新住居表示制度前の地名が残っている場所がたくさんあります。注意してみると結構楽しかったりします。年配のタクシーの運転手さんなどは、旧地名で伝えた方がすぐに場所がわかります。(例:扇町1丁目の焼き鳥屋だいご → 寺町ガード下の焼き鳥屋だいご、など)
だとすると、①の「小田原市緑」は?
これはどうもM8=1875の小田原町誕生まで遡るのではないかと思います。この時は;
- 新玉 :現在の浜町のうち、R1北側付近。小学校や通りに名称が残ってます。
- 万年 :現在の浜町のうち、R1南側付近。公民館名に名称が残ってます。
- 幸 :現在の本町付近。バス停に名称が残ってます。
- 緑 :現在の栄町付近。
- 十字 :現在の南町付近。十字町ヒストリアという施設があります。(何のお店でしょう?)
が合併して小田原町が誕生したのですが、その時の緑(=栄町付近)の飛び地だけがS41の新住居表示制度を逃れて、現在でも山の中に残っているのでは?と思います。
もし夜にタクシーを呼んで、緑町の駅に行きたくて年配の運転手さんに「緑町まで」とお願いして、この山中で下されたら。。。
さて、この考察は正しいか、間違っているか。。。