決して「未開の地」ではありません。
今まで特に用事がなくて行ったことのない「未開拓の地」を訪問する企画です。
第1段は、谷津-緑-十字界隈です。
さて何があるのか?
■本日の訪問先
今日の訪問先は、高級住宅街の城山エリアと、荻窪に挟まれた狭っこいエリア、谷津〜緑〜十字界隈です。
■谷津エリア
谷津は、小田原総構北縁の尾根線上に、東西に細長く延びたエリアで、東の方は住宅地、西の方は山岳地帯になります。
写真撮影場所の標高は65m程度、右に行くと関東学院大学キャンパスに降りていきます。
左側に上ると緑エリアに続きますが、電柱があるのでこの先に民家があるってことでしょうか?
■緑エリア
谷津と緑の境目に、「総構 総構山ノ神堀切」があります。
西から東に伸びる山の尾根線を分断するように、南北方向に掘られた空堀です。空堀が作られたのは1590年頃、当時はもっと切り立った土手で空堀も深かったでしょうから、尾根線沿いに侵攻するのは難しかったことでしょう。
この辺りで標高は90mほど、この先も十字エリアに向かって登りが続き、最高地点で標高100m程度となります。
道沿いの南側は住所的には城山で民家が数軒ありますが、北側の緑エリアには畑と作業小屋があるだけで、民家がある雰囲気はしません。
さて、緑には何世帯くらいあるのか、小田原市の統計情報を調べてみたところ・・・
0(ゼロ)ではなくXとは、どういう意味なのか、、、
■十字エリア
総構の西の縁になるエリアで、多くの空堀や土塁の遺構が残されれています。何軒か民家もありました。小田原競輪場の前の道を登ってくる道に合流し、本日の「未開拓の地 訪問」は終了しました。
■結論:戦国時代の要塞都市の端っこ
「未開拓の地」と思ってましたが、実は5年ほど前にレンタル電動自転車を借りて総構巡りをした際に、一度訪れてました。
Ref. 小田原2Dプロジェクト(2016.04.06)
最新の小田原市統計月報によると、この3エリアの合計世帯数は45世帯で人口は107人、戦国時代の要塞都市の遺構が多く残る、里山エリアという感じです。
もしかすると戦国時代の当時、この辺で警備に当たっていた兵隊さんの人数の方が多かったのかもしれません。
歴史好きにはとてもいい場所のようで、途中何人か総構見学する方とすれ違いました。
なお、道はとても狭く軽トラが目一杯なので、なるべく普通車では行かないように。(Kanatecは電動自転車なのでスイスイです。)