コロナ禍での運動不足で体型に重大な問題が生じており、その対策として自転車で小田原周辺を走ってますが、限りある足柄平野には、新たな訪問場所や目的地がなくなりつつあります。
純粋に運動目的だけでサイクリングが続けられるくらいなら、初めから体型が崩れることなどありません。
いろいろ検討の結果、走行距離自体を目的にできないかと思い、さすがに日本一周とかシベリア鉄道では距離がありすぎるため、適度な距離感の「東海道五十三次 リモートツアー」を企画してみました。
さらに、3月上旬から再開した平日ウォーキング(散歩ともいう)の距離も、せっかくなので移動距離に加算することにします。(本来はこれが正しいような気がします)
■ルール
- 江戸 日本橋をスタートし、京 三条大橋(495.5km)を目指す(バーチャル)
- 自転車の走行距離だけ、”すごろく”のように東海道五十三次を進んだことにする(進める距離だけはリアル)
(2022.03.12:平日ウォーキング(散歩ともいう)の距離も加算することに変更) - 各宿場では、広重さんの「東海道五十三次」に描かれた場所をGoogleストリートビューやネットで探し、旅行気分を味わう(バーチャル)
■現在の位置
■(4)遠江国編の概要
⏩ ここより前、伊豆国〜駿河国編へ
宿場名(日本橋からの距離) | 旅のルート、難所、要衝 |
---|---|
24 金谷 (208.4km) | 現在の住所は島田市金谷。SL観光鉄道で有名な大井川鐵道 金谷駅あり。 |
⏬ 2022.04.10通過 | 牧之原台地を狭い山道で越える。 小夜の中山を越え、茶畑の山道を抜けると日坂宿。 |
25 日坂 (215.0km) | 現在の住所は静岡県掛川市日坂。 本陣跡が立派で、昔の雰囲気が残るいい感じの街。 |
⏬ | ここからしばらくは平坦な道。 |
26 掛川 (222.1km) | 山内一豊の掛川城 城下町。 市内中心の街道沿いは、昔ながらのアーケードの商店街。 |
⏬ 2022.04.17通過 | 絵に描かれた大池橋を越え、平坦な街道が続く。 |
27 袋井 (231.7km) | 東海道五十三次のど真ん中で町おこし中。 距離的に真ん中はもう少し先。 |
⏬ | 平坦な街道が続く。 |
28 見付 (237.6km) | 現在の住所は磐田市見付。旧見付学校の建物がレトロでおしゃれ。 |
⏬ | 天竜川の渡し。 |
29 浜松 (254.0km) | 徳川家康の出世城、浜松城の城下町。 |
⏬ | 狭くていい感じで一直線の古い街並。 |
30 舞阪 (265.0km) | 現在の住所は浜松市西区舞阪町。浜名湖東岸の宿場。 |
⏬ | 浜名湖 今切れの渡し |
31 新居 (270.8km) | 現在の住所は湖西市新居町。関所は復元され観光施設に。 |
⏬ 2022.04.23通貨 | たぶん当時は砂浜沿いの道かも? |
32 白須賀 (277.4km) | 現在の住所は湖西市白須賀。 狭くていい感じの古い街並、町屋の風景が素敵。 |
⏬ | 愛知県豊橋市に入り、長い静岡県内の旅が終わる。 |
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2022.04.10 金谷宿(大井川遠岸)
一つ前の島田宿と同じ、大井川の渡しを東側(左岸)から俯瞰しています。GoogleEarthで再現してみましたが、遠景の山が潰れてよくわかりません。
広重さん版画の正面右手の山の中腹に見える集落が、次の金谷宿です。その奥に見えるシルエットはどこの山でしょうか?
あの方角は、牧之原の台地のほかあまり高い山は見当たりませんか、この先の街道の山道を予感させるシルエットだとすると、日坂宿手前の峠?
2022.04.17 日坂宿(佐夜ノ中山)
標高は200mもないのですが、広重さんの絵の通り狭い急坂です。観光案内で「小夜の中山 茶畑」という場所もありました。
全然別件ですが、結構マニアがいる「旧逓信省 電話装荷線輪用櫓」が、小夜の中山への上り坂の手前にありました。この手の技術遺産が残っているのは素敵。
2022.04.17 掛川宿(秋葉山遠望)
この橋は倉真川にかかる大池橋からの景色です。右奥の山はサブタイトルによると秋葉山で、そこには当時大人気の火防の神さまが祀られる秋葉神社があります。
一応掛川は城下町なのですが、なぜか掛川城は出てきません。もう通り過ぎてしまいました。
ところが、見えないんです。
お城を出し抜いて構図に収まった秋葉山ですが、大池橋からは見えないんです。国土地理院の地図並びに、アプリ「スーパー地形」双方で解析しても、途中にある本宮山の影になってしまいます。
広重さんかKanatecいずれかが、何か勘違いしているのかもしれません。
2022.04.23 袋井宿(出茶屋ノ図)
観光施設のようですが、「東海道どまん中茶屋」という広重さんの描いた「袋井出茶屋之図」をモチーフに建てられた茶屋があります。実際に描いた場所がここかどうかは定かではありません。
2022.04.23 見附宿(天竜川)
広重さんの構図は、見附宿側(左岸)から見た、暴れ川で名高い天竜川の渡しの風景です。
見附宿は今の地名で言うと磐田市で、ヤマハとサッカーの街というイメージがあります。
2022.04.23 浜松宿(冬枯ノ図)
遠景に浜松城が見える宿場町の郊外です。
とある解説Webでは、「本図は、東から浜松城と浜松城下・宿場町の家並みを望む構図である。遠方に浜松城の櫓も見える。手前中央には松が大きく描かれ・・・」とあります。
右手にある松は「ざざんざの松=颯々の松」と呼ばれ、浜松のランドマークになっていたそうで、場所は八幡宮でお城の北東約1km程度の距離。
ということで、お城の東側で、八幡宮がわずか右手に見える街道沿いの場所を探してみましたが、現在お城が見えるわけもなく、特定困難でした。
2022.04.23 舞坂宿(今切真景)
浜名湖の東岸にあった宿場で、新居へ渡る渡し場の風景です。
室町時代である明応7(1498)年に発生した明応地震(※1)で、浜名湖と海を隔てていた陸地が切れてしまい、「最近切れてできた渡し」ということから、「今切れの渡し」と呼ばれたそうです。
※1:南海トラフを原因とする東海、東南海、南海の三連動地震で、M8.6(推定)
右奥に富士山が見えますので、舞坂宿の対岸 浜名湖の新居側(西岸)から描いた風景と思われます。
2022.04.23 新居宿(渡舟ノ図)
再び今切れの渡しの風景です。今回の構図は、舞坂の今切の渡しから新居に向かう西行きの船上からもので、この先には関所が描かれています。
Google Earthでこの風景を探してみましたが、船上からの景色確認は無理のようです。
2022.04.30 白須賀宿(汐見阪)
湖西市白須賀のその名も「汐見坂下」から、北に続く上り坂の街道を進むと、途中に観光案内看板があります。多分その辺が広重さんが書いた場所でしょう。わずかですが遠州灘も見えます。
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