東海道五十三次 リモート・ツアー(1) 武蔵国編

コロナ禍での運動不足で体型に重大な問題が生じており、その対策として自転車で小田原周辺を走ってますが、限りある足柄平野には、新たな訪問場所や目的地がなくなりつつあります。

純粋に運動目的だけでサイクリングが続けられるくらいなら、初めから体型が崩れることなどありません。

いろいろ検討の結果、走行距離自体を目的にできないかと思い、さすがに日本一周とかシベリア鉄道では距離がありすぎるため、適度な距離感の「東海道五十三次 リモートツアー」を企画してみました。

■ルール

  1. 江戸 日本橋をスタートし、京 三条大橋(495.5km)を目指す(バーチャル)
  2. 自転車の走行距離だけ、”すごろく”のように東海道五十三次を進んだことにする(進める距離だけはリアル)
  3. 各宿場では、広重さんの「東海道五十三次」に描かれた場所をGoogleストリートビューやネットで探し、旅行気分を味わう(バーチャル)

■現在の位置

(クリックして拡大)

■武蔵国編の概要

宿場名(日本橋からの距離)旅のルート、難所、要衝
00 江戸 日本橋 ←2022.01.04出発街道の出発点
 ⏬R15(中央通り)を南下、品川八ツ山橋付近でR15から分岐し旧道へ
01 品川 (7.9km)中心は北品川1丁目 品海公園付近
 ⏬ ←2022.01.04通過鈴ヶ森処刑場跡付近でR15に合流、平和島付近で旧道へ一時分岐、六郷の渡しで多摩川を越え、川崎宿(繁華街)へ
02 川崎 (17.7km)中心は川崎区本町1丁目付近
 ⏬多摩川右岸(川崎)から生麦までは旧道、その後再びR15に合流
03 神奈川 (27.5km)中心は神奈川区台町付近
 ⏬神奈川宿を越えR15から山側に分岐、現在の横浜駅周辺繁華街を北に迂回し、天王町を経由して保土ヶ谷へ
04 保土ヶ谷 (32.4km)中心は保土ケ谷区保土ケ谷町1丁目付近
 ⏬ ←2022.01.09通過保土ヶ谷で一旦R1に合流するが、権太坂手前で旧道に分岐、戸塚区に入りR1(横浜新道ではない旧道)に合流

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2022.01.04 江戸 日本橋(朝之景)

当時の江戸 日本橋の様子(安藤広重作)

朝焼けをバックに大名行列が橋を渡り始める様子が描かれてます。

現在の日本橋は南南西から北北東方向にかかる橋なので、当時も同じ方向だとしたら、橋の南詰めの若干西側から見た構図でしょうか?

街ゆく皆さん生足なので多分暑い季節、だとすると朝焼けの方向も北東方向で一致するような。。。

この構図だとわからないですが、橋の南詰めには罪人の晒し場があったそうです。左手には高札場が描かれてますので、晒し場はその近くと思われますが、早朝のため罪人はまだ護送前で小伝馬町にいるのかもしれません。

現代の東京 日本橋の様子(Googleより)

日本橋の南側、「日本橋由来記の碑」の前から見た現代の様子です。

当たり前ですが、観光用の作り物以外に、当時の面影は何もありません。

江戸末期の古地図を完全描き起こし、現代図に重ねた地図アプリ「大江戸今昔めぐり」によるナビ画面です。

さすがに東海道五十三次全域のナビは無理ですが、多摩川を渡り川崎宿までこの地図でカバーされています。

2021.01.04 品川宿(日之出)

当時は海岸線がかなり内陸に入っていたので、右側の山のような地形が、場所特定のヒントになりそうです。

品川の旧東海道は、現在は一方通行の狭い生活道路として、品川の八ツ山橋から南大井の鈴ヶ森刑場跡付近まで残っています。特に品川宿のあたりは地元商店街になっています。

広重さんの構図の右端には、山のようなものが描かれてます。この辺りで街道のすぐ右手まで山が迫っているのは品川の八ツ山橋あたり?

現代の八ツ山橋付近はJRの切り通しや第一京浜で途切れており、当時の街道と御殿山の高低差の関係が今ひとつよくわかりません。

写真は旧街道の京急北品川駅付近、右手には御殿山が、左手には天王洲からつながる運河が、すぐ近くまで来ています。

余談:ドコモのシェアサイクルについて

コロナ禍の中、バイト先に通勤する際、混み合う京浜東北線を避けるため、ドコモのシェアサイクルを借りて品川の旧東海道は何度も通りました。

このドコモのシェアサイクルは、貸出・返却可能なポート数も自転車の台数も多く、うまく使えるととても便利なのですが、かなりの確率でハズレのポンコツ自転車を引き当ててしまいます。

借り出す前には、必ずバッテリー、タイヤの空気圧及びブレーキの点検をするのですが、バッテリーの劣化が相当進んでいると、無負荷時に残量OKでも、走り出してすぐにバッテリーが空になるケースを体験しました、

バッテリーが完全に空になると通信機能も失われ、オンラインでの返却手続きができなくなります。ルール上は、使用開始から5分以内にポートに戻して返却手続きすれば無料キャンセルになりますが、それすら不可能な訳です。

この場合、ポートに返却後すぐにセンターに連絡しないと、「ずっと借りている」ことにされて法外な料金が請求されます。

コストの制約もあるとは思いますが、いくつか改善提案です。

  • 駆動用と通信制御用のバッテリを別にする
  • バッテリー残量が少ない、もしくは劣化が疑われる自転車の予約は受け付けない
  • 自転車本体や予約画面の見やすい場所に、トラブル時の緊急連絡方法を書いておく

まあ、あれだけの自転車台数があり保守も大変、雨晒し保管、そしてどうしても一定数マナーの悪い利用者もいるので、「そういうもの」として、心と時間に余裕がある時に利用するのがよさそうです。

2021.01.09 川崎宿(六郷渡舟)

富士山の見え方からして、多摩川の六郷の渡しを江戸側から描いているので、対岸が川崎宿です。

この辺りから富士山が綺麗に見える印象はないのですが、実際はどうなんでしょう?

東海道線(京浜東北線)や京急線と第一京浜(国道15号)の六郷橋の間あたりに、六郷の渡し跡と古い六郷橋の遺構が残ってます。

この場所は、箱根駅伝の往路1区で、六郷橋に登る坂道でレースに動きが出るあたりです。

国土地理院地図より

余談:六郷土手から富士山が見えるか?

現代はビルがたくさんあって無理でしょうけど、当時はどうだったのでしょうか?

左のグラフは、(左端)六郷土手から(右端)富士山に向けた見通し確認です。途中、横軸(距離)で40〜60kmにある1000mクラスの山並みは丹沢山系ですが、その先に富士山の上半分が見える感じです。

広重さんの構図では富士山の麓まで綺麗に見えてますので、邪魔な丹沢山系は消し去ったと思われます。

2021.01.09 神奈川宿(台之景)

海辺に店舗が並んでいて、街道は上り坂。

この辺りの海岸線は埋め立てて港湾施設や工場になっているので、海側の景色は何も残ってないでしょう。

場所特定のポイントは街道が西に向かって上り坂になっている場所。

神奈川本町、こちらではなさそう
神奈川区台町、多分こちら

1枚目の写真は、神奈川区神奈川本町界隈、京浜急行線と首都高速/第一京浜(国道15号)に挟まる住宅街に、松並木を再現したような路地があります。

当時の海岸線には近いが、もう一つの場所特定のヒント「街道が西に向かって上り坂」となる部分。写真の道は、ほぼ平坦でこの先西に向かってわずかに下り坂。この路地ではなさそう。

街道は京急神奈川駅南西の青木橋辺りで第一京浜(国道15号)から離れ、内陸側に入っていきます。

2枚目の写真は、街道が内陸に入った台町あたりで、いい感じの上り坂になってます。

この辺には当時茶店があり、座敷から海が見えたとの記録もありますので、もしかするとこちらかもしれません。

当時の海岸線から離れているはずですが、海岸から余計な風景が大胆に割愛されている可能性は十分考えられます。

2021.01.09 保土ヶ谷宿(新町橋)

当時まだ寒村だった(現)横浜駅界隈を陸側に迂回していた街道は、帷子(かたひら)川に掛かる橋を渡り、天王町に入ってきます。

橋の右手奥に見える山は、JR保土ヶ谷駅の西に広がる丘陵地と思われます。

帷子川に架かる橋
相鉄線天王町駅前の公園

広重さんの描いた場所は、相鉄天王町の駅から少しだけ江戸寄りの帷子川にかかる橋と思われます。

また天王町駅の南口にある広場では、保土ヶ谷宿がこの辺りにあったことを示しています。

街道は、この先のJR保土ヶ谷駅付近からしばらく国道1号線と同一ルートになります。

余談:帷子(かたひら)川が正しく読めるか?

これを正しく読めるかどうかが、ネイティブとエセのハマっ子を見分ける基準の一つだそうです。

Kanatecは元横浜市栄区民なので読めませんでした。田舎の知り合いに住んでいる場所を教える際は、「鎌倉のすぐ隣の横浜」と言ってましたし。。。

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