小田原周辺の謎(8):微妙に屈曲する御殿場線(後編)

微妙に屈曲する御殿場線(前編)の続きです。机上検討で気になった箇所を、実際に現地確認してきました。

なお今回掲載する写真は、新しいカメラ「RICOH WG-M1」で撮影してますが、これが結構色々あってもう大変。詳しくは「デジカメ考」をご参照ください。

■調査のスタート

全国で3箇所、そのうち2カ所が小田原にある童謡「とうりゃんせ」の発祥の地、国府津の菅原神社です。名前の通り、菅原道真公をお祭りする神社です。(もう1箇所の発祥の地は、南町の山角天神社)

年齢とともに脳も劣化しているので、少しは学問の神様 道真公のご利益に預かれればと思います。

堤部分が御殿場線、その上の高架は車庫に向かう東海道線です。

■田島の田園地帯

国府津を出た御殿場線は、北西に進路を転じそこから一直線に松田方面に向けて進みます。

新幹線や小田原厚木道路の高架の下を抜けると、田島の田園地帯です。このあと御殿場線沿線には、東海道線の車庫や梅林が続きます。

御殿場線が開通した130年前なら、国家プロジェクトに障害となるものはなく、どこに一直線に線路を敷いてもOKだったと思います。さて、何を避けたのでしょうか?

富士山がきれいに見えます。

■下曽我駅のちょっと松田側

地形に特徴があるので記録してきました。下曽我駅のちょっと松田側、その名も「梅林踏切」付近の様子です。

それまで平坦な場所を進んできた御殿場線のすぐ横まで、段差が迫ってきました。

線路の東側が一段高くなって民家があり、その先また一段高くなって県道が通ってます。

踏切の東側が台地になっており、線路はちょうど崖のキワの下側を通っている。
それでも線路は一直線で、台地を避けているわけではない。

どのくらいの段差かというと、台地の上を流れてきた用水路を水道橋で電車の上を通せるくらいあります。

踏切の下曽我駅側、線路の上を超えるのは用水路の水道橋。

ちょうどこの辺りは、国府津-松田断層による山際の崖と千代の台地に挟まれた部分です。なんとなくここが、一直線の基準になった場所のような気がします。

■警報機も遮断機もない小学校第一踏切

さすが御殿場線、警報機も遮断機もない踏切がありました。その名は「小学校第一踏切」です。名前の通り、小田原市立曽我小学校のすぐ東側にあります。

この辺りに限らずですが、御殿場線はもともと複線だったため、線路の脇のスペースが結構広い場所が多いです。

決して線路内には立ち入っていません。踏切からの撮影です。
踏切から前述の梅林踏切側をみると、線路は一直線ですが、南に向い登り勾配になってます。

写真撮影中、後ろに気配を感じ振り返ると、御殿場線が接近してきました。
普通の警報機も遮断機もない踏切だと、気配に気づかず運転手さんに警笛を鳴らされてしまうところですが、すぐ近くにある小学校第二踏切の警報機の音が聞こえるので大丈夫です。

どこまで離れればいいのかわからなかったので、「とまれみよ」の後ろまで下がってみました。
特に警笛を鳴らされることもなかったので、大丈夫だったようです。

■線路の屈曲点を現認

相模金子駅のすぐ北側、「学校踏切」のすぐ南側にて線路の屈曲点を確認しました。

決して線路内には立ち入っていません。踏切からの撮影です。
踏切の南側は、しっかりカーブしています。

踏切の北側は再び一直線です。

決して線路内には立ち入っていません。踏切からの撮影です。
踏切の北側は、再び一直線です。
決して線路内には立ち入っていません。踏切からの撮影です。
もうお気づきですよね?枕木がコンクリート製ではなくて木製です。

■川音川の鉄橋を渡ると、すぐに松田駅に到着

今ひとつ盛り上がりにかけた調査となりましたが、国府津-松田断層による台地や崖をさけ、うまい具合に一直線に最短距離で線路が敷かれている印象です。

現在の一直線ルートが、曽我付近の台地や崖に掛からないギリギリのラインだと理解できました。